【新幹線殺傷事件】無期懲役囚・小島一朗の手紙に見る「幸福」の意味とは|殺傷事件

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2018年6月9日夜、東海道新幹線「のぞみ」の車内で発生した殺傷事件で、乗客の女性2人がなたで切りつけられ、止めに入った兵庫県の会社員の男性(当時38歳)が命を落としました。逮捕されたのは当時22歳の無職、小島一朗容疑者。彼は「無期懲役になりたい」と語り、2019年12月に無期懲役の判決を受けました。この記事では、無期懲役囚となった小島から送られた手紙の一部を紹介し、その心理や刑務所生活について考察します。

「刑務所はひどいところだから入らない方がよい」

手紙の中で、小島は自身の現在の状況について淡々と語っています。彼は刑務所生活に満足しているかのように見え、「刑務所はひどいところだから入らない方がいい」と述べながらも、出るつもりはないと明言しています。彼は身体が弱っており、寝たきり状態で介護が必要だと自ら記していますが、それでもなお、「福祉の手からもれた障碍者や高齢者が、刑務所に入るために罪を犯すことは珍しくない」と語り、自身もその一人だとしています。

「絶対になりたくなかった有期刑」

小島は無期懲役にこだわり、手紙の中で有期刑を絶対に避けたいと強調しています。「無期なら死ぬまで国が面倒を見てくれる」という認識のもと、仮釈放を望んでいません。30年無事故で仮釈放の可能性があることについても、「そんなことを言われたら、逆に事故を起こしたくなる」と述べ、二度と社会に出るつもりはないことを強く示しています。

「この世のどこにも居場所がない」

手紙では、小島が「この世のどこにも居場所がない」と感じていたことが述べられています。彼はホームレス生活や精神病院での経験を経て、最終的に刑務所での生活が自分にとって最も安らぎを感じる場所だと語っています。「餓死したい」「衣食住もいらない」とまで述べる彼にとって、刑務所は生きるための義務を背負わされた場所でありながらも、安心できる場所となっているのです。

「日本の刑務所には希望がある」

手紙の中で、小島は日本の刑務所を称賛しています。彼は刑務所が無差別殺人犯をその場で射殺するような海外の制度とは異なり、無期懲役囚にとっては「死ぬまで国が面倒を見てくれる」点を強調しています。また、彼は「私はもっと多くの人を殺すことができたが、そうはしなかった」とも述べ、刑務所での生活が自分にとって「希望がある」と感じていることを示しています。

「人並みの幸せはもとよりありえない」

最後に、小島は「人並みの幸せはもとよりありえない」と述べ、刑務所での生活を受け入れています。彼にとって、社会での生活は努力を要するが、刑務所では努力の必要がないという点で、逆に「幸せ」だと感じているようです。「刑務所では生きることが義務であり、社会では自殺する権利さえある」と述べ、彼にとって刑務所は安らぎの場所であることが強調されています。

見解:刑務所が「幸福」とされる背景

小島一朗の手紙からは、彼が刑務所での生活を「幸福」と感じていることが浮かび上がります。彼にとって、社会は居場所のない場所であり、刑務所はその「居場所」を提供するものでした。この手紙は、犯罪者が刑務所で安らぎを得てしまうという現代社会の構造的な問題を反映していると言えるでしょう。

彼の言葉からは、社会のサポート不足や福祉制度の不備が、犯罪を選ばせた一因であることも感じ取れます。この事件を通じて、犯罪者をただ収容するだけでなく、彼らの社会復帰をどのように支援するべきか、より深い議論が求められています。

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