1972年の悲劇的な事件、通称「山岳ベース事件」では、連合赤軍のメンバーが内部粛清名目で同志リンチを行い、多くの死者を出しました。この中で特に悲惨だったのが遠山美枝子さん(25歳)のケースです。彼女は極寒の山中で縛られ、食事を与えられず、殴打され、最終的に凍死しました。女性史研究者、江刺昭子さんは遠山さんの生涯を追い、彼女の遺した足跡を『私だったかもしれない』という著書で綴っています。
事件の背景と動機
遠山さんは明治大学時代に重信房子と出会い、政治運動に身を投じました。1971年、彼女は連合赤軍の一員として、榛名山での「山岳ベース」に参加します。この期間に「殲滅戦」を名目に内部粛清が行われ、遠山さんもその犠牲者の一人となりました。
江刺さんによると、遠山さんは同志として献身的に活動していたにもかかわらず、彼女の美貌と独立心が他のメンバーから嫉妬の対象となり、不幸な末路を辿ることとなったのです。事件後、遠山さんの夫である高原浩之から提供された手紙には、彼女の生きた証と彼女に対する思いが綴られています。
起訴された犯人たちの状況
この事件に関与した連合赤軍のメンバーは逮捕され、その中には青砥幹夫被告が含まれています。青砥被告は遠山さんを直接的にリンチした一人で、彼の手紙からは深い悔恨の念が読み取れます。「美枝子さんを返すことはできませんが、この行為を深く反省しています」と述べています。
社会的背景と影響
1970年代初頭、日本では学生運動が高まり、多くの若者が社会改革を求めて街頭に立ちました。しかし、理想と現実のギャップ、内部の対立が激化する中で、運動は徐々に暴力的な方向へと進んでいきました。山岳ベース事件は、その最も極端な表れの一つであり、後世に多大な影響を与えた事件です。
結論
遠山美枝子さんの悲劇は、個人の犠牲がいかに政治的理念に翻弄され得るかを示す事例です。彼女の生涯を通じて、多くの人々が彼女が置かれた状況と、連合赤軍という組織内部の問題点について理解を深めることが求められています。この事件を反省材料として、未来の政治運動がより平和的で建設的な方向へ進むことが期待されます。
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