1587年、アメリカ開拓のためにエリザベス女王の勅許を受けたウォルター・ローリー卿によって派遣された植民団が、北アメリカ大陸のロアノーク島に定住しました。しかし、その後、植民地の住民115人が不可解にも全員行方不明となり、これがアメリカ開拓史上最大の謎の一つとされています。

植民地の設立背景と初期の挑戦

ロアノーク植民地は、スペインの植民地帝国に対抗し、英国の影響力を北米大陸に拡大するために設立されました。しかし、植民地建設初期から、食料不足や先住民族との緊張が絶えず、多くの困難に直面しました。これらの困難により、初期の植民者たちはすぐに帰国してしまったとされます。

謎の集団失踪

1587年には新たな植民団がジョン・ホワイトの指導のもと送り込まれました。彼らはロアノーク島で生活を始め、ヴァージニア・デアという女児が誕生し、これが北アメリカで生まれた最初の英国人とされています。しかし、植民地のリーダーであるホワイトが資源を求めて一時帰国すると、彼が3年後に戻った時、植民地は完全に無人と化しており、住民たちは一人残らず消えていました。

消失の可能性

植民地の消失には複数の説が存在します。一つは、厳しい生存条件により、植民者たちが近くのクロアトアン島へ移動し、そこで先住民族と同化したというもの。また、彼らがスペイン軍によって攻撃された可能性、病気や飢餓による壊滅などが考えられます。最も有名な手がかりは、「CROATOAN」と刻まれた木の板で、これが植民者たちがクロアトアン島へ移動したことを示唆しているとされています。

現代の発掘と研究

2012年以降、ロアノーク島とその周辺で行われた考古学的な発掘から、16世紀のヨーロッパ製の物品が発見され、植民者たちが一時的に滞在していたことを示す証拠が見つかっています。これにより、失踪した植民者たちの動向について新たな光が当てられつつあります。

まとめ

ロアノーク植民地の集団失踪は、アメリカ合衆国の歴史の中でも特に謎に包まれた事件の一つです。時間が経過するにつれて新たな発見がなされてはいますが、115人の植民者が何によって、どのようにして消え去ったのかについては、今なお確かな解答は得られていません。現在も続く科学的な調査が、いつかこの長い歴史の謎を解明する日が来るかもしれません。

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