イタリアの歴史の中には、多くの奇妙で恐ろしい事件が存在しますが、レオナルダ・チャンチュリの物語は、その中でも特に異質なものとして知られています。彼女の犯罪は、単なる殺人事件ではなく、迷信、狂気、儀式が絡み合った恐ろしい犯罪でした。この事件は、イタリアの小さな田舎町コレッジョで、戦争の混乱の中に埋もれてしまった過去の一つの側面を浮き彫りにします。
レオナルダ・チャンチュリの生い立ちと背景
レオナルダ・チャンチュリは1893年11月15日、イタリア南部のモンテラ・デイ・マルシアーニに生まれました。彼女の出生は、すでに呪われた運命を予感させるものでした。母親はレオナルダを望まない子供として見なし、幼少期には虐待や無視が日常的に行われていました。この環境の中で、レオナルダは深い不安と孤独を抱え、次第に迷信やオカルトに心の救いを求めるようになりました。
彼女は青年期に2度の自殺未遂を経験し、彼女自身が「呪われている」と信じるようになりました。やがて、彼女はラファエーレ・パンソルディという男性と結婚しますが、母親の反対を押し切ったこの結婚により、彼女の呪われた運命がさらに強化されたと感じていました。結婚生活の中で、彼女は17回の妊娠を経験しましたが、そのうちの10人の子供は早期に亡くなり、4人は流産に終わり、彼女の不安と恐怖は増すばかりでした。
狂気の始まり: 占い師の予言
1930年代、彼女はイタリア北部のコレッジョに移り住みました。この時期に、レオナルダは占い師に自分の未来を占ってもらいます。その占い師は、「すべての子供たちが死ぬ運命にある」と告げました。この予言は、レオナルダの心に深く刻まれ、彼女は子供たちを守るために、何か極端な行動に出る必要があると信じるようになりました。
彼女は次第に、犠牲を捧げることで自分と家族を守れると考え始めます。彼女の信念は、儀式的な人間の犠牲が最も強力な魔術的効果を持つというものに変わり始めました。こうして、彼女の恐ろしい計画が形を取り始めたのです。
儀式的殺人の実行
1939年から1940年にかけて、レオナルダは3人の女性を計画的に殺害しました。彼女は彼女たちに優しく接し、助けを申し出ることで信頼を得てから、自宅に招き入れるという方法をとりました。
- ファウスティーナ・セッティ
最初の犠牲者であるファウスティーナ・セッティは、結婚を望んでいた独身女性でした。レオナルダは彼女に「完璧な夫を見つける方法」を提案し、その準備として自宅に招き入れました。彼女は毒入りのワインをファウスティーナに飲ませ、意識を失わせた後、斧で彼女を殺害しました。その後、彼女の遺体を切り刻み、彼女の血を集めて焼き菓子に混ぜました。これを近所の人々に配り、また石鹸を作るために彼女の脂肪を使用しました。 - フランチェスカ・ソアヴィ
次にターゲットとなったのは、教職を望んでいたフランチェスカ・ソアヴィでした。彼女も同様にレオナルダに騙され、自宅に招かれ、毒殺されました。フランチェスカの遺体も同じ方法で処理され、彼女の体から作られた石鹸と菓子は同様に配られました。 - ヴィルジニア・カッチョポ
最後の犠牲者ヴィルジニア・カッチョポは、元オペラ歌手で、レオナルダは彼女に仕事を紹介するふりをして近づきました。彼女もまた、レオナルダの家で同じ運命を辿りました。しかし、ヴィルジニアの失踪は目立ち、警察が捜査に乗り出すきっかけとなりました。
犯行の発覚と裁判
ヴィルジニアの失踪後、彼女の姪が警察に失踪届を提出しました。警察は調査を進める中で、最後にヴィルジニアが訪れた場所がレオナルダの家であることを突き止めました。捜査の結果、レオナルダは逮捕され、家の中からは彼女の犯行を裏付ける証拠が次々と発見されました。レオナルダは犯行を認め、その動機についても詳細に供述しました。
1946年の裁判では、レオナルダは冷静かつ詳細に自らの行為を証言しました。彼女の証言は恐ろしいものであり、裁判官や陪審員を戦慄させました。彼女は、これらの殺人が自分の家族を守るために必要だったと強調し、罪の意識をほとんど感じていない様子でした。最終的に、彼女は終身刑を宣告され、1970年に精神病院で死亡しました。
終わりに
レオナルダ・チャンチュリの物語は、狂気と迷信がどのようにして人間を破壊し、社会に深刻な影響を与えるかを示しています。彼女の犯罪は、単なる殺人以上のものであり、時代背景や社会の不安定さが絡み合った結果として起こった悲劇でした。彼女の行動は、今もなおイタリアの犯罪史の中で異彩を放ち、忘れ去られることはありません。
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